死に至る望み、そして(彷徨編)

仲間たちを捨てて、人間界に生きようとするヴァンパイアは、狂気が訪れるよりはるか前に、もっと恐ろしい地獄に出会わなければならないのだ。

――アン・ライス『ヴァンパイア・レスタト』



登場人物 Tremereアルフォンス・ルイ・コンスタン
クラン:トレメア
出身:フランス
外見年齢:23歳・♂
吸血鬼化:1940年

 血を触媒に魔術を操る魔術士。クランを統べる七人の長に服従の呪縛を受けている。今回は魔法使いらしい博学ぶりを発揮する。ちなみに彼の名をヘブライ語読みすると……
Treadorサレイン・ヴェストマール
クラン:トレアドール
出身:ロンドン
外見年齢:19歳・♂
吸血鬼化:1924年

 最も美を愛するクランであるがゆえに、真に美しい物の前では我を忘れて見惚れてしまう困った性癖の持ち主。しかし彼の鋭い審美眼は、物事の裏に隠された醜い意図も見逃さない。現在、夜間大学で勉学に励む。
Ventrueウィル・ミンスター
クラン:ヴェントルー
出身:オーストリア
外見年齢:18歳・♂
吸血鬼化:1933年

 吸血鬼最大の結社カマリーラを率いるクランの一員。カトリック教徒の女性の血しか飲まない。貴族らしい傲然たる冷静沈着ぶりは、外見年齢が18歳ということをSTに忘れさせるほど。
Brujahムラト・トクジャン
クラン:ブルージャ
出身:パレスチナ
外見年齢:24歳・♂
吸血鬼化:1946年
 2mを越える長身に猛き魂を秘めたアラブ人。元テロリスト。現在、アルカディアン・ウォルシュの身辺警護を務めるが、口より先に手が出るのが玉に傷。
アルカディアン・ウォルシュ(NPC)
クラン:マルカヴィアン 出身:イギリス 外見年齢:50歳・♂ 吸血鬼化:不詳
 マルカヴィアン氏族の司法官。PCたちの上司。矍鑠として陽気な初老の小柄な男性。南北戦争以前からアメリカに居住している。マルカヴィアンの特徴である狂気と予言の才をほとんど表に出すことはないが……?

序章呪われし血族
The Damned

吸血鬼流の言い方をするなら、ムラト・トクジャンは寝起きが悪い方だった。日没後完全に真っ暗になるまでは瞼を上げるのも億劫でならない。いっぽう太陽が地平線の向こうに沈むやいなや、まだ空に赤みが残っているうちから起き出す連中もいる。不運にも、ムラトの上司はそういう「早起き」のたちだった。
 鳴り続ける電話のベルを、頭からシーツをかぶって十回までは無視した。十一回目で観念し、十二回目に母国語で悪態を呟き、十三回目でベッドから転がり落ちるように受話器を取った。
「はい?」
「おはようございます、ミスター・トクジャン」
 受話器から落ち着き払ったクィーンズ・イングリッシュが流れ出す。上司――アルカディアン・ウォルシュの執事を務める屍鬼(グール)の声だ。
「お約束から30分を過ぎても御見えにならないので。風邪でも召されましたか?」
「イヤミのつもりか、それは?」
 肉体的には死人であるヴァンパイアに病気もへったくれもない。向こうには見えないと知りつつムラトは牙を剥く。
「嫌味かどうかは存じませんが、ウォルシュ様がそう聞いてみろと。すでに到着なさいましたミンスター様、コンスタン様、ヴェストマール様も心配しておいでです」
「素直に俺が遅刻したんでイラついてると言え」
「正直に申し上げれば、その通りでございます」
 と、屍鬼はすましたものである。
「わかったよ、すぐ行く。くそっ、今度こんな時間に叩き起こしたら、アッラーにかけて、ウォルシュのボディーガードなんか辞めてやる」
 ムラトは電話を叩きつけるように切った。それから、またも無意識にアッラーの名を口にしたことに気づいて、苦く笑う。もはや彼にとっては何の意味ももたない名だというのに。
 52年前、ムラトの肉体が時を止めたとき、神は死んだのだ。

 テキサス州、ダラスの郊外。数十人はゆうに暮らせそうな広壮な邸宅に、アルカディアン・ウォルシュは独りで住んでいる。執事を含め数人の屍鬼の使用人が住み込んでいる他は、ボディガードであるムラトさえ、必要な時に呼びつけられるだけだ。とかく歳を経たヴァンパイアは人嫌いになりがちだが、ウォルシュの場合は他に事情があるらしい。
 白髪混じりの髪を後ろに撫でつけ、古めかしい仕立ての背広をきちんと着込み、イギリス紳士然としたいでたちのウォルシュは、ムラトの姿を見るなり
「やあ、まったくすばらしい夜だ、ムラト君!」
 と開口一番大声で言って、言われた本人のみならず居間で待ちくたびれていたウィル、アルフォンス、サレインの三人までも面食らわせた。
「天には暗雲垂れこめて、地は三日続きの雨で泥まみれ、大気はテキサスらしからぬ湿気に満ちて、これで我々の体が腐らんのはいっそ奇跡だよ! こんな晩には可能な限り寝床に潜っているのが一番だ。ムラト君、君は全く正しい。私や友人たちを待たせてさえいなければもっとゆっくりできたのに、残念だね!」
 サレインがくすりと笑ったところを見ると、どうやらウォルシュなりの遠回しな嫌味だったらしい。アルフォンスはいつもどおり灰青色の瞳で無表情に一瞥しただけだが、ウィルは渋面で「遅い。何をやっていた」と文句を言った。このヴェントルーは十七、八歳の姿で壮年の政治家のような物言いをする。おそらく実年齢もそれくらいなのだろう。
 ウィルはまだ何か言いたげにしていたが、ムラトが座るのを待ちかねたようにウォルシュが
「諸君に集まってもらったのは他でもない、我がクランの者が少々トラブルに巻き込まれたからでな」
 と切り出した。

「〈六戒破り〉ですか」
 アルフォンスが目を細めた。

 〈六戒〉はいわばヴァンパイアの法律だ。伝説では始祖カインが定めたと言われるが、実際には結社カマリーラの創設者たちが交わした取り決めが不文律となって残ったと言った方が近い。もっともカマリーラは建前上あらゆるヴァンパイアをその構成員と見なしているから、結社の掟はヴァンパイアの掟と割り切ってしまってもさしつかえあるまい。

 第一戒―ヴァンパイアは決して人間に正体を明かしてはならない。
 第二戒―土地の支配者〈公主(プリンス)〉は、その領地内において絶対の権限をもつ。
 第三戒―土地の公主の許可なく新たなヴァンパイアを創ってはならない。
 第四戒―ヴァンパイアを創った者には、一人前になるまで教育する責任がある。
 第五戒―よその土地を訪れた時は、そこの公主の謁見を受けねばならない。
 第六戒―ヴァンパイアはヴァンパイアを滅ぼしてはならない。

 掟がある以上、違反者を裁く者も必要になる。それが司法官(ジャスティカー)だ。カマリーラを構成する七つの氏族に一人ずつ、計七人いる。司法官は、そして司法官のみが、ヴァンパイアが〈六戒〉に違反したかどうかを判断し、刑罰を言い渡す権限を持っている。
 アルカディアン・ウォルシュはマルカヴィアン氏族の司法官なのだ。
「2年前のビヨン事件を覚えているかね?」
 とウォルシュが訊いた。
「ビヨンというと、あのデルバート・ビヨンですか? フランスの、たしかアヴィニョンで殺された、」
 当時の現場を思い出したのか、サレインが眉根をひそめた。死んだヴァンパイアというのはあまり見目良いものではない。それまで血の魔力で食い止められていた腐敗の過程が一気に進行するのだ。被害者が歳を経てそれなりに有力なマルカヴィアンであり、全身の血をすべて吸い取られるという異様な死に様だったために、たまたま旅行でアヴィニョンを通りかかったサレインはウォルシュの代理人として調査に立ち会わされる不運に陥ったのだ。
 まあ、そもそも最初から死んでいるヴァンパイアに、「死ぬ」や「殺す」という言葉は不適切なのかもしれないが。
「犯人は捕まったのか? サレイン」
 アルフォンスの問いに、サレインは首を振る。
「ヴァンパイアであることは間違いないんですけどね。結局、容疑者は絞りきれなかったんじゃないかな。調査より先に学校の夏休みが終わっちゃって」彼は大学の夜間コースに通う学生でもある。「あとはフランス支部に任せて帰ってきちゃいましたからね」
「えらく無責任だな、おい」
 と、これはムラト。
「だって、文字どおり立ってる他に何もさせてもらえなかったんですよ。あすこのプリンスはノスフェラトゥでしょう。僕のような余所者のトレアドールを立ち会わせたのは、純粋に司法官に対する義理ですよ、義理」
 サレインは肩をすくめた。そんな些細な仕草まで優雅なのは、天性の素質か、クランの血がなせる業なのか。いずれにしろ彼の祖(サイア)が――いかにもトレアドールらしいことに――彼が最も美しい時期を選んで〈抱擁〉を授けたことには間違いない。
 かすかに微笑んで、しかし相変わらず抑えた声でウォルシュは続けた。
「先日フランス支部から連絡があってな。ビヨン殺害の40年前にビヨンの子が、その7年前にビヨンの孫が、同様の手口で殺されていることが判明した。ビヨン殺しと同一犯である可能性は高い」
「ビヨン事件の40と7年前というと――1948年ですか?」
アルフォンスが素早く計算する。「つまり1948年にビヨンの孫、7年後の1955年にビヨンの子、40年後の1995年にビヨン本人。一世代ずつ遡って殺しているわけだ」
「しかも血と命を吸い尽くしてな。〈悪魔の業(ディアブレリー)〉さ」
 陰鬱な口調でウォルシュが付け加えた。
 ヴァンパイアが人間の全身の血を吸い尽くした後、自分自身の血を飲ませるとその人間はヴァンパイアとなる。そうして最初の吸血鬼、カインが創造したヴァンパイアは「第2世代」と呼ばれる。第2世代が創造した「子」ヴァンパイアは第3世代である。世代を重ねるごとに、カインから受け継いだ血は薄くなり、それだけ個体としての力も弱くなる。新しい世代の者たちは常に前の世代を数で上回ることでそれを補ってきた。
 だが、より世代の古いヴァンパイアの血と命をすべて飲み干して滅ぼした者は、世代を一つさかのぼることができる。第10世代が第9世代の、第9世代が第8世代の力を得ることができるのだ。むろん〈悪魔の業〉と呼ばれることから判るように、カマリーラのヴァンパイアの間では最大の禁忌とされている。
 遠く雷鳴が響いた。窓から吹き込む風に、雨の気配が匂う。
「いつだったか、こんな伝説を聞いた」
 誰にともなくウィルが呟いた。
「『祖を屠り、祖の祖を屠り、祖の祖の祖を屠りし者、カインより受け継ぎし呪詛から解き放たれ、今ひとたび人に戻らん』と。それが本当なら、犯人はいまごろ陽光の下を歩いているかも知れんな」
「それには諸説ある。遡らねばならない世代は四代とも、七代とも、氏族の太祖を屠らねばならんとも。犯人はおそらく――まだ続ける気だ。わしにはそんな気がする」
 狂気と予言の才で名高いマルカヴィアン氏族の出だけに、ウォルシュの最後の言葉には不気味な重みがあった。
「じゃあ容疑者は絞れるじゃないか。ビヨンの曾孫以下を探し出して片っ端から調べていけばいい」
 ムラトが言った。第6世代より古いヴァンパイアは、現在ではめったに姿を現わさない。第15世代になると血が薄すぎて〈抱擁〉を授ける力がない。自然、ビヨンの子孫といっても数は限られる。だいいち、新しい子供を創るにはその土地の支配者、〈公主〉の許可が必要だ。
「ところがそう簡単にはいかんのだよ、ムラト君。まあ話を最後まで聞きたまえ」
 遠雷の近づく音を締め出すように、ウォルシュは手ずから窓に閂をかけ、重いベルベットのカーテンをぴたりと閉めた。ふっと雨音が遠くなったが、湿った土の香りは室内に取り残される。
「たしかに、犯人はビヨンの子孫である可能性が高い。それに女性だということは確かだ。死体が発見された時の――その――」
 と言葉を切って、ウォルシュは意味もなく口髭をひねった。
「つまり、現場の状況からな、犯人は女と断定できる。問題は『どの』女なのか、ということだ。カマリーラの記録を調べた限りでは、ビヨンの子孫に女のヴァンパイアはいない――つまり犯人は血筋を偽っているか、まだプリンスに紹介されていない者だ」
「『誰が』殺したかは判らなくても、次に『誰を』殺すかは判るでしょう。犯人がまだ祖殺しを続けるつもりなら」
 しずかにアルフォンスが言った。灰青の双眸からは相変わらず何の表情も読み取れない。
「ビヨンの子孫が何人いるか知らないが、彼の祖は一人しかいない。それは誰です? ウォルシュさん」

「それは――」
 雷鳴が前より近くで轟いた。カーテンの向こうで、最初の稲妻が閃いた。

「――私だ」

 雷鳴。稲妻。緋のベルベットが閃光に透け、輝く暗血色を背景に、逆光を受けたウォルシュのこめかみの、蒼白な薄い皮膚の下に蒼い血管が

「そう、私がデルバート・ビヨンの祖だ」

 月光に透ける葉脈のように

「犯人が次に狙うとすれば、おそらく――私だろう」

 マルカヴィアン氏族の司法官、アルカディアン・ウォルシュは言った。

第一章沼地のアナーキー
Anarchs

その翌晩、高速道路をダラスからヒューストンへ向かう一台のバンがあった。濃い遮光ガラスを見透かす夜目があれば、運転手を含め四人の乗客の肌が一様に蒼白なことに気づくだろう。
「だいたい、いつもいつも前フリが長いんだよ、あのジジイは!」
 と運転手がぼやいた拍子にむき出した犬歯が一瞬、異様に長く見えたことにも。
「少しは控えろ、ムラト。俺たちの前だからいいが、その台詞がマルカヴィアンやノスフェラトゥの耳にでも入ってみろ」
「おまえらの前だから言ってんだよ」
 バックミラーには後部座席に傲然と座っているウィルの姿が映っている。これが趣味の悪い赤色に塗装された旧型のバンでなく、運転手付きリムジンとか飛行機のファーストクラスの座席だったらさぞかし様になったろう。
「飛行機ならニューオーリンズまで二時間とかからないんですけどねえ」
 助手席でぼやいたのはサレインである。アルフォンスはウィルの隣で我関せずと分厚いヘブライ語の本を読んでいる。
 そう、飛行機なら今頃とっくにニューオーリンズに着いてるんだ、とムラトは心の中で呟く。それがなぜヒューストン経由で二晩もかけて女っ気もなく何時間もの退屈なドライブをしなければならないかといえば、ひとえに『いつもいつも前フリが長いあのジジイ』が車で行けと命じたせいだった。
 アルカディアン・ウォルシュはダラス屈指の資産家だが、同時にダラス屈指の倹約家でもあった。そしてダラスでおそらく一番の飛行機嫌いだった。
「まったく、容疑者がいるならいると早く言えってんだ……」
 昨夜の話を思い出して、ムラトは他の三人がアラビア語を解さないのをいいことに、母国語で悪態をついた。

「実は容疑者が一人いる」
 アルカディアンは立ち上がり、神経質に部屋を行ったり来たりしはじめた。
「ニューオーリンズからサマンサ・ドレイクという女が私に呼び出しをかけてきた。なんでもプリンスの子供の一人に襲われたので、その件について私に調べてもらいたいというのだ。司法官の義務として、私本人が出向かねばならん。ニューオーリンズのプリンスはこの件に関して何も知らないと言っているが、まあ当然のことだろう。それにプリンスは子沢山で有名だからな。なんでも会う人間会う人間、片っ端から〈抱擁〉を授けているらしい。節操のないトレアドールめ!」
 サレインが端正な顔をしかめたので、彼もトレアドールだと気づいたウォルシュは失敬、とかすまんとかいう類の言葉を呟いた。
「まあ調査のために呼び出されるのはいつものことだから、普段なら問題ないのだが、サマンサ・ドレイクの経歴が気になってな。彼女はマルカヴィアンだが、プリンスによれば、彼女は自分の祖に捨てられたと言っているそうだ。数年間はクランなしとして放浪生活をしていたが、あるヴェントルーと親しくなり、ニューオーリンズでマルカヴィアンのエルダーの一人に紹介され、クランに迎え入れられた後、ニューオーリンズのプリンスに紹介されたらしい。以後は特にトラブルも起こさず、もう半世紀以上もそこに住み着いているらしい。だが、彼女がビヨンの末裔という可能性はじゅうぶん有り得る。
 そこで諸君にはニューオーリンズに向かい、ミス・ドレイクと落ち合ってほしい。彼女の行動や振る舞いに何か異常な点や犯罪に関わっているふしがないかどうか調べてくれたまえ。私も3日後にそちらに到着する。それまでに有益な情報を探りだしていることを期待しておるよ。諸君は明日の日没に出発したまえ」

 と一方的に言われて、次の晩5時間ほどかけてヒューストンに向かい、昼はそこのプリンスの寝所に泊めてもらって、夕方ニューオーリンズに向けて出発したというわけである。
「ヒューストンのプリンスに、なんでマルカヴィアン出身だなんて嘘をついたんだ? アルフォンス」
 ムラトが訊くと、
「あそこの風はトレメアに冷たいからさ」
 と答える。
「ああ、ヒューストンはオースティン市の支配権をダラスのプリンスに取られたばかりだったな、トレメア出身の」
 ウィルが言った。
「どうせならヴェントルーを名乗ればよかったろう。ヒューストンのプリンスはヴェントルーなんだから」
「謁見の時に古式ゆかしく血統を暗唱してみろと言われたらどうする、おれは第13世代だぞ。12人も嘘の名前をでっちあげるのか」
「だったらマルカヴィアンだって変わらんだろう」
「いや、狂気の発作が起きたふりをすればいい」
「なるほどな」
 皆がひとしきり笑って、その話はそれきりになった。
 州間高速10号線を東に向かい、ルイジアナ州に入って約1時間ほど車を走らせると、道の左右は濁った沼沢地帯に変わる。ヒューストンを出る時は黒檀色の絨毯のように太くまっすぐだったアスファルトが、ここでは今にも沼に侵食されそうだ。樹木の影が星空を千もの形に切り抜く様は面白くもあったが、遠くから何やら遠吠えが聞こえてくると摩天楼のシルエットの重なりを見ていた方がはるかに落ち着くことを思い知る。
「嫌ですね、野犬でしょうか」耳ざといサレインが言う。「まさか人狼じゃあないでしょうね」
「だったら轢き殺してやるさ。奴らだって不死身じゃないんだ。俺たちが十字架を恐れないようにな」とムラト。
「人狼ならむやみと車を襲いはしないよ。連中も人間に正体がばれないように気を使うらしい」
 と、本を顔に乗せて居眠りしていたアルフォンスが言った。事実毛むくじゃらの狼男が飛びかかってくる気配もなく、サレインはしきりとうるさい遠吠えの合唱を野犬の群れと決めつけ、アルフォンスは再び居眠りに入り、ウィルはその前から眠っているのかいないのか、とにかく目を瞑っていた。ヴァンパイアはそもそも呼吸しないから、皆が黙ってしまうと実に静かだ。
 30分ほど車を走らせ続けて、ムラトがいいかげん誰かに運転を代わってもらおうと口を開きかけたとき、前方で甲高い金属音がした。それまでが静かすぎたので誰も何の音か理解できずに、反射的に音のした方を見た。
 今度は大きな破裂音が響き、車体は激しく上下に揺れはじめる。
「何……」
「黙ってねえと舌噛むぞ!」
 ムラトが怒鳴って猛烈な勢いでハンドルを切る。バンは道路脇の水たまりを派手に跳ね上げつつ左右に蛇行を繰り返し、灌木の茂みに突っ込む寸前でようやく停まった。
「……おい……みんな無事か?」
「……無事かじゃねぇぞこの野郎……」
「……いきなり何て運転しやがる……」
 後部座席から怨詛の声が二人分漏れてきた。ウィルとアルフォンスがものの見事に転がり落ちてわけの判らない体勢で折り重なっているが、少なくとも怪我はないらしい。
「なんだ二人ともその目つきは。俺の華麗なドライビングテクニックがなければ今ごろ車ごとおまえらの体もおしゃかになってたんだぞ。もう少し感謝の面持ちを顔に出したらどうだ」
 ひとり几帳面にシートベルトを締めていて無事だったサレインが、「パンクですかね」と言いながら降りていった。
 右のフロントタイヤが破裂していた。
「パンクするような物を踏んづけた覚えはないんだがな」
 ムラトが首を傾げていると、
「見てください、これ……!」
 サレインが蒼白い顔をさらに蒼白にして車体を指差した。長く直線状に傷がついている。
「まさか、弾痕――」
「人狼が通りすがりに釘でひっかいたようには見えねぇな」
 軽口を叩きながらも元テロリストのムラトの神経は警戒態勢に入っている。では最初の金属音は銃弾がかすめた音だったのだ。二発目がタイヤに当たった――だが、
「こんな所で狙撃か?」
 道の両側には延々と湿地と沼が広がっている。
 どこかで、ちゃぷり、と水音がした。
「急いでタイヤ交換しないと、日の出までにニューオーリンズに着けないぞ」
 アルフォンスが時計を気にしつつ降りてきた。
「そうだな。アルフォンス、手伝え。サレインは見張りを頼む――おまえの方が目がいい。ウィル、降りてきてサレインと反対の方を見張れ」
 非常時になるとがぜん張り切るムラトだった。が、ウィルはいっこうバンから降りてくる気配がない。
「ウィル?」
「見張りならここからでもできる。降りる必要はない」
 十八歳の若々しい顔の中で歳を経た瞳が冷ややかにムラトを見返した。
「いつまでふてくされてる。降りて来いったら」
 ウィルは一字一句はっきりと区切るような発音で、
「おれに、命令するな」
 と言った。
 ムラトの頭に血が昇った。
「てめえ、言わせておけば……!」
 みるみる犬歯が伸びて牙に変化する。腹の底に突然灼熱する鉄塊を置かれたように、憎悪とも憤怒ともつかぬ感情が煮えたぎる。目の前にあるモノを無性に破壊したくなる。衝動を抑えようと食いしばる歯が嫌な音をたてた。このヴェントルーの、栗色の髪をむしり紺青の眼をえぐり取り白い薄い皮膚を引き裂いたら胃の腑もおさまるだろうか、ああだが誰かが肩を押さえている指の長い手一本一本へし折ってやりたくなるような綺麗な白だこの手から先に壊してやろうかそれとも反対側から呼んでいる落ち着き払って憎たらしい声の発生源を破壊してやろうか破壊して破壊し破壊――

《静まれ!》


 凛、と命じた声はただの音の連続ではなかった。耳から入って脳に到達するのではなく、直接全細胞に霜の冷たさで浸透する、血の香りのする声だった。全身の血が一瞬にして冷えた。
 ちゃぷり、と沼が水音をたてた。
 我に返る。
 深い海の色の双眸がしずかにムラトの眼をみつめていた。
 ウィルの眼だ。
「頭を冷ませ。ブルージャの怒りは次の戦いにとっておけ」
 声の異様さにはっとして視線を落とすと、ムラトの両手はウィンドーを突き破り、ウィルの喉に回って指を食い込ませている。人間ならとうに窒息しているし、あと少し力をこめれば頸骨が折れてヴァンパイアでもただではすまない。ウィルは〈傀儡(Domination)〉の妖力で一瞬ムラトの精神に割り込みをかけ、かろうじてそれを逃れたのだ。
「すまない……」
 手を放してようやく、肩にかかったサレインとアルフォンスの力に気づく。二人ともムラトを制止するために渾身の力をこめねばならなかったらしい。
「俺はもう大丈夫だ。悪かった」
「まあ、おれが迂闊だったのさ。ブルージャを挑発するなんて」
 さすがにウィルも殊勝げな口調でそう言ってから、妙に人間くさい仕草でひとつ咳き込んだ。
 ちゃぷり、と沼が水音をたてた。

 激昂はブルージャの呪いである。このクランに加わりし者はみな、理性で抑えきれぬ激情に悩まされる運命にある。それはカインの呪いと同時にクランの太祖の呪いをも継承するからだという。しかし猛きブルージャにとって激昂は祝福でもある。激情に身を任せている限り、疲れも苦痛も知らず、いにしえの狂戦士のごとく戦い続けることができる。すべての敵を屠るまで、あるいは、すべてを破壊するまで。
 しかしヴァンパイアは、どのクランであれ、それぞれに呪いと恩恵を受けて生まれるのだ。例えばマルカヴィアンはかならず狂気をはらんでいるが、正常な精神には耐えられぬ真実を見透すことができる。

 ウォルシュがこれを見通していたら、車の旅を強いたろうか?

 濁った沼の向こうから、泥に塗れた繿褸をまとい、ざんばら髪を振り乱し、右手からも左手からもぞくぞくと現れた者たちの姿を見たら?
 ちゃぷり、と沼が水音をたてた。
 泥水の面がざわめいて、さながら腐沼に沸く瘴気の泡のように、いくつもの頭がぷかりと覗いた。
 陸から来た者たちはめいめい鈍く光るショットガンやサブマシンガンを手に。
 水の下から来た者たちは五指に長い鉤爪を生やし。
 いずれもひとのかたちをしていた。
 どれほど醜悪でも、二本脚で歩くものを、ひとと呼ぶというのなら。
 アルフォンスは相手の人数を見て、拳銃より両手を上げる方を選んだ。たとえ敵が丸腰だったとしても、4対15では分が悪すぎる。奥の手がなくもなかったが、向こうの出方が判らぬ以上、うかつには使えない。
「人数に比べて呼吸音が少ない。三分の二くらいは同族ですよ」
 サレインが囁いた。おそらく密かに五感を砥ぎ澄ます妖力を使っているのだろう。アルフォンスには何も聞こえない。
「残り三分の一は屍鬼か。まあどうせ同族といったってアナーキーなんだろうな、こんなところにいるからには」
「少なくともトレアドールでないことは確かです。ああ、見ているだけで虫酸が走る」
 みな一様に醜悪で、どれが屍鬼でどれがヴァンパイアか見分けがつかないが、ともかく泥まみれの一人が
「ルシアン様がおまえらと話をしたいそうだ」
 と、唸った。ルシアン様、という呼び方に非常な尊敬――ほとんど畏敬に近いものがこもっている。
「銃を突きつけておいて『話をしたい』とは、よく言うぜ」
 ムラトが吐き捨てる。ショットガンを構えた一人が車内に残っていたウィルに銃口を向けた。
「車から降りろ」
「それが人に物を頼む態度か」
 鼻先に銃を突きつけられてもウィルは腕を組んだまま微動だにしない。
「頼んでなどいない。これは命令だ」
「敬意を払ってほしければそれなりの格好で出直してくるんだな」
 さすがにショットガンの男は一瞬鼻白むが、目で合図して沼から上がってきた一人を呼び寄せる。そいつは左手に杭、右手に木槌を持っていた。
「どうしても動かないと言うんなら、これをおまえの心臓に打ち込んで減らず口を叩けなくした上で、あの手押し車に放り込んで連れて行く。自分の足で歩いていくのと、手押し車に積まれていくのと、どちらがいいか選べ」
 心臓に杭を打たれただけではヴァンパイアは死なない。五感は残したまま、全身が硬直するだけだ。しかし手押し車で荷物扱いされると分かっていてヴェントルーの自尊心がそれを許すわけがない。
「……わかった。今出る」

第二章ルシアン
Lucian

ショットガンを構えた男たちに囲まれるようにして沼地のはずれに連れて行かれた。それまで歩いてきた道に比べれば乾いて開けているが、とうてい人が住むとは思えない場所に、奇跡のように一軒の掘っ立て小屋がある。中には固いベッド、くたびれたソファ、そして机が一つあるきりだ。卓上オイルランプの小さな炎だけが、机の向こう側に腰掛けた中肉中背の男を照らしだしている。精悍な顔は風雨に晒されてはいるが異様に蒼白い。おそらくこの男もヴァンパイアなのだろう。男は日記帳のような分厚い冊子に万年筆で何やら書き物をしていたが、顔を上げて4人の来客の人相を確かめるように視線を走らせた。
「おまえがルシアンか?」
 ムラトが不機嫌な口調で尋ねると、男はうなずいた。
「我があばら屋へようこそ。乱暴な方法で連れてきたことは謝るよ。あんたたちに話がしたかったんだが、ただ頼んだだけじゃ来てもらえまいと思ってな」
 ルシアンの英語は流暢だったが、強いフランス訛りがあった。
「俺はあんたたちを足止めしたら報酬をたっぷり貰えることになってる。普段なら手下どもに撃ち殺させて、死体を焼いて、灰を沼にばらまけば終わりだ。それが俺の流儀だし、俺はそういう仕事が得意なんだ。だが、その報酬を申し出た奴はカマリーラの女だったし、俺はカマリーラが大嫌いでな。獲物を生かして逃がすのは気に食わんが、カマリーラの指図で殺しをするのはもっと気に食わん」
「それなら俺たちを逃がすにしろ、殺すにしろ、カマリーラの利益になるんじゃないか」
 と、アルフォンスが訊いた。
「だったら何故ひきうけた?」
「報酬が魅力的だったからさ」
 ルシアンはいやに気障なしぐさで肩をすくめた。
「蹴っちまうにはあまりにもったいなかったんで、つい、な。だが、あの女からはペテンの匂いがぷんぷんする。信用できない。はっきり言っちまえば、怖いんだ。だから、俺はおまえたちを殺さない。それだけでなく、今から俺が言う通りにしてくれたら、応分の見返りをやろうじゃないか」
「取り引き、というわけか」
「そうだ。あんたがたの探してる女が、あんたがたの上司が言ってるような罪を本当に犯したのかどうか、俺には全く判らない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない――どっちみち俺の知ったこっちゃない。だが、その女が俺にあんたたちの『足止め』を依頼したという事実は、彼女にとってひどく不利に働くはずだ。もしあんたたちがあの女を有罪と判断して、司法官が彼女に死刑判決を下したら、あの女が俺に約束した報酬をあんたがたと山分けしよう。なに、あの女さえ怖くなければすぐにもふんだくれるのさ」
「報酬の内容を聞かないことには答えかねるな」
「悪いが今は言えないね。ともかく、今の時点では教えられない。ただ非常に『おいしい』報酬であることは確かだ」
「おまえの言う女がほんとうに無実だったらどうする?」
「俺の言葉をちゃんと聞いてなかったな。司法官があの女に死刑判決を下したら、報酬を山分けすると俺は言ってるんだ。もっとももし俺が濡れ衣を着せられた女で、ショットガンを持った殺し屋を雇う金があったら、その金で司法官の部下をもてなすワインの一本でも用意するがね」
「いいだろう、その取引をのもう。ただし口約束では忘れるかもしれんな」
「契約書が必要かね?」

 ルシアンは先刻まで書き物をしていたノートから白紙のページを引きちぎり、
「なんならラテン語の鏡文字で書いてさしあげようか?」
 そう言って独り笑った。
「まあくれぐれも用心することだ。あの女は恐ろしい力を持ってる。あんたたちが束になってかかってもかなわないかも知れない。司法官だって互角に戦えるかどうか。奴は歳を経て力もあるが、命をなくすのを何より恐れているからな」
 しゃべりながら万年筆で走り書きした紙をウィルによこした。
「もう一度、荒っぽい手段でご足労願ったことをおわびするよ。車は修理しといたから、先を急ぎな。手下どもに道まで案内させる。俺が話したことをよく考えといてくれ」

第三章ミスター・ジョンソン
Dead Guitarist

ニューオーリンズのプリンス、ミスター・ジョンソンは港の沖合いに停泊した豪華ヨットで暮らしている。
「カマリーラのウィーン支部から追放処分を受けたヴァンパイアに、ルシアンという名前の者がいるそうだ。元はクラン・トレメアの出だが、少なくとも二世紀近く前のことだ」
 船室の窓から見える淡い星空のようなメキシコ湾の夜景を背にして、1930年代に若くして死んだはずの伝説的なブルース・ギタリストの黒人はそう言った。趣味の良いダブルのスーツに身を包み、昨夜初めて会った時のラフなジーンズ姿とはまるで別人に見える。もっとも昨夜弾いていた(おそらく国家予算級の金がかかっているにちがいない)フェンダー・ストラトといい、今日のスーツの仕立てといい、彼がとてつもない大富豪であることは間違いない。
「少なくとも、とはどういう意味です? ウィーン支部は追放処分の理由を教えてくれなかったんですか?」
 アルフォンスが聞きとがめると、
「いずれにせよ奴は今では傭兵まがいのアナーキーだ。経歴を洗っても君たちが調査している件に関して有益な情報が得られるとは思わんが」
 と答えてプリンスは渋い表情になった。これ以上は訊くな、ということらしい。
「ミシシッピの鰐と同じで、世の中には用がない限りつつかん方がいいものもある。余談はこれくらいにして、本題に入ろう」
 彼の口調はほとんど黒人訛りを感じさせず、小さい頃から厳しく訛りを矯正されて育ったことをうかがわせる。
「アルカディアンは要点しか話さなかったものでな、君たちがここに来たいきさつを詳しく聞かせてもらいたい。サマンサ・ドレイクが私の子供を訴えたということだが?」
「ええ。失礼ながら、あなたの創ったヴァンパイアの一人がミス・ドレイクを攻撃した、とうかがっています」
 それを聞くとプリンスの表情がみるみる険悪になってきた。ミスター・ジョンソンは噂通りの子沢山というだけでなく、子煩悩でもあるらしい。
「そもそも、どうして司法官ご本人がここにいないのか知りたいね。誰のこととは言わんが、私は目下の者に向かって自己弁護するのには慣れていないんだ」
「ウォルシュは3日後にこちらに到着します。私たちが先行したのは予備調査のためで、まだあなたの子供が真犯人と決まったわけでは――」
「当たり前だ、まったくばかげた事を!」ジョンソンが声を荒げた。「うちの子供にはそんな非道な真似をする者はいない、一人たりともな! いいだろう、仮に、仮にだぞ、もし私がサマンサとばかり付き合ったとして、他の子たちがやきもちを妬いたとしてもだ、何か莫迦ないやがらせや脅しぐらいはするかもしれんが、絶対に手を上げるような真似はせん。いずれにしろ、私はこれまで数えるほどしかサマンサを見かけたことはない。私の子供たちもだ」
 一息にそうまくしたてると、プリンスは数秒黙り込み、いくらか落ち着いた口調で先を続けた。
「実のところ、我々には寝耳に水の話なんだ。何だってサマンサが私の子供を訴えねばならんのか、全く心当たりがない。だいたい私は長年サマンサのやっていることを大目に見てやっているというのに……」
「大目に見ている?」
「ああ、さっきも言ったとおり、うちの子供たちは殺しはやらない――それがこの街の掟だ。そんな必要はないし、近頃は殺人をもみ消すのもなかなか面倒だ、とりわけこの街にはヴァンパイアがずいぶん増えたからな。で、私はサミーが港湾管理局で家出人を狩っているのを知った。そして彼女が自分の家に連れていった子供は二度と戻ってこないことも。だが、私は放っておいた。彼女には彼女なりの流儀があるんだろうと思ったし、彼女は自分のやっている事がちゃんと判っている風だったからな。皮肉なこった、今じゃ私を除けば彼女はこの街で一番古株だな」
 サマンサが訴えたのはマイケルという少年だった。サマンサがウォルシュに手紙で訴えたところによれば、マイケルはジャズバンドのライブを聞きに行こうと誘ってサマンサを車に乗せ、暗い路地に連れ込んで襲った。血を吸われそうになったサマンサは、かろうじてドアを開けて外に飛び出し、しつこく追ってくるのをやっとの思いで振り切ったという。しかし、ジョンソンのヨットの一室に軟禁中のマイケル少年は混乱し、脅えきった様子で、
「たしかにその夜は街の東側で一人で狩りをしてたよ。でもサマンサの姿は見なかった。だいたい、数ヶ月前のパーティーで一度会ったきりの人を、なんの恨みで襲わなきゃいけないんだよ」
 との一点張りだ。とても〈六戒破り〉をするような度胸の持ち主には見えない。演技としたら、立派なものだ。妖力で少年のオーラを監視していたサレインも、
「嘘はついてないようです。オーラに揺らぎがない」
 と請け合った。
「まあ、真実と思い込まされた事をしゃべってるって可能性もあるがな」
 ムラトが言った。
「そんなことをして誰の得になるんです?」
「あえて言うなら、プリンスか……」
 最後の部分はさすがに声が低くなった。
「だが〈記憶操作〉の妖力を駆使したところで、いずれボロがでる。いくら子供がかわいいからといって、プリンスがそこまで危険を冒してかばうとは、おれには思えんな」
 ウィルが言った。
「やはりサマンサがウォルシュを呼び出すための口実を作ったと考えた方がいいだろう。気の毒なマイケル君は狂言回しってわけだ」
 アルフォンスはそう結論した。

 真偽はどうあれ、この狂言説を聞いてプリンスの機嫌は目に見えて良くなった。
「……なるほど、筋は通っているな。すべてはウォルシュのご老体をダラスからおびき出すためのお膳立てってわけか。確固とした証拠がないのが難点だがな。私の方でも役に立てるような情報はないが、サマンサが祖知らずのままカマリーラに加わった経緯は覚えているよ」

第四章ミスター・ジョンソンの話
An Old Tale

サマンサがカマリーラに加わったのは、私が加わってからほんの1年か2年後だった。あれは1939年だったか、40年だったか……大恐慌も終わりかけの頃だ。ヴァンパイアにとってはいい時代だったな。大勢の人間たちが路頭に迷って、狩りは実にたやすかった。
その2、3年ほど前から、許可もなく街の東側で狩りをしている者がいるという噂はあって、プリンスが――つまり、先代のプリンスだが――部下を派遣して調べさせていた。
 サミーが自分からやってきたのは、きっとそれに感づいたからだろう。初めはフェリシア・デムーランのところに姿を現した。このフェリシアというのはいちおう寄宿学校出のお嬢様育ちなんだが、成り上がりの地主の娘のくせに、よりによってヴェントルーになったもので、二重の意味で鼻持ちならない女だった。だが情にもろい婆さんではあったから、サミーが彼女に泣きついたのは賢かったな。
 サミーの身の上話は聞くも涙、語るも涙のものだった。なんでも、どこか北に行くところだったのが、ある晩道に迷って、柄の悪い場所に入りこんでしまった。そこで何者かに襲われてわけがわからなくなり、目が覚めた時にはがらんとした倉庫の中で独りぼっち、ヴァンパイアになっていたそうだ。その街に数年いるうちに自分の体のこともだんだん判ってきたが、そうするとこの街に、故郷に帰りたくなってきた。生きている身寄りといえば大叔母だけだった。その大叔母さんももう年寄りで頭もぼけていて、たった一人生き残った子孫が吸血鬼だということも判らなかった。まもなく大叔母は死に、サミーは残った屋敷を受け継いだ。
 やがて尾行されていることに気づき、恐ろしくなって自分の同類を探しはじめた。そうして見つけたのがフェリシアだった――というのがサミーの話だ。真偽のほどはともかくな。
 フェリシアはその話を鵜呑みにした。「悲運の美少女」などというものはロマンス小説の受け売りとしか思えないが。いちおうの裏付け調査をして、フェリシアはなんとかサミーをマルカヴィアンの一員として認めさせた。フェリシアの知り合いにエティエンヌ・ブラックという男がいて、マルカヴィアンで白人と黒人の混血なんだがなぜかフェリシアとは仲がいいんだ。フェリシアはエティエンヌを後見人につけてサミーをマルカヴィアンに入れた。その後、サミーはまた元の家と元の餌場に舞い戻って、フェリシアとエティエンヌ以外の者はほとんどサミーの姿を見かけなくなった。 私が61年にプリンスになった時、サミーも礼儀として久々に姿を現した。ずいぶんいい女になっていたな――昔よりますます自信にあふれて見えた。その後は、以前より頻繁にふらりと現われるようになった――ちょくちょくとまではいかないが、時々といえるくらいには。私の子供たちの一部で、サミーがちょっとしたアイドルになったこともあった――みんな彼女のように一人気ままに優雅に暮らしてみたいと思っていたんだな。

「私が知っているのはこれくらいだ」とジョンソンは言った。「フェリシア・デムーランは第二次世界大戦中に吸血鬼ハンターに滅ぼされた。エティエンヌ・ブラックは60年代後半に姿をくらましたきり行方知れずだ。我々はたまに行事で呼び出しをかける以外、サミーに連絡をとったことはない。珍しくサミーの方からやってきたと思えば、例の襲われた話をしてくれたわけだ」
 ジョンソンは重厚な樫のテーブルから、一枚の黄色い法律用箋を取りあげてこちらによこした。
「ドレイク邱の電話番号と、サマンサがよく立ち寄っていたという夜の遊び場のリストを用意させた。もっとも、私と子供たちが知る限り、一週間前、サマンサが私の所に訴えに訪れて以来、彼女の姿を見かけた者は誰もいないが……ほかに、マイケルの濡れ衣を晴らすために私にできることがあれば遠慮なく言ってくれたまえ」

... and the story will be continued.

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