戯曲:Rite of Easter(春分の儀式) | ||
脚本 Professor
この戯曲はWerewolf: The Apocalypse 2nd Edition pg.150の『Rite of Reawakening』をベースにして書いています。基本的なコンセプトや流れはオリジナルと変わりませんが、よりペイガニズム色が強いものになっています。といっても元々Werewolfの世界観自体ペイガニズムの影響が随所に見られるくらいですので、さほど違和感はないでしょう。
これは非公式設定です。
司祭 | ガリアルド。あるいは、フィロドクスが務めてもよい(生まれ月が半月で、昼と夜の均衡を象徴する)。精霊界に危険の多い昨今では、戦闘能力の高いガリアルドが好まれるようである。もちろん〈春分の儀式〉を修得していることが前提条件だ。 |
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渡し守 | 精霊界で七つの試練の場に氏族を先導する。通例、ケルン周辺のアンブラ事情に通暁している氏族の門番(Gatekeeper)が務める。または、任意のシーアージかラガバッシュがつとめてもよい。 |
門番 | 七人。〈門〉をくぐるガルゥたちに試練を課す。通常はケルン・トーテムの化身が様々な姿をとって現れ、この役目を務める。試練を形式的に済ませる場合は、長老級のガルゥ2人が七つの門全ての番人を務める。 |
ケルン中央を春の花で飾る。四方にはそれぞれの方角を象徴する物品を配置する。春が遅い地方などで花が揃わない場合は、中央にケルン・トーテムを象徴する品物を置く。方角と物品の対応は以下の通り(註2)。
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日没とともに輪を成すように参集する。司祭は輪の中央に立つ。 | |||||||||||
司祭 | 帰り来る春を迎えよう。喜びの時、種を蒔く季節が来る。光と闇が等しく釣り合う均衡の時、我らをかたちづくる全てのものは新たな調和へと移りゆく。生命は大地より芽吹き、冬の呪縛は断ち切られよう。幼き太陽が手を開く今こそ、春の乙女を死の封土より連れ戻そう。清々しい雨と芳しい風を伴い、その足跡には野草が花開き、その踊りは絶望を希望に、悲しみを喜びに、枯渇を豊穣に転ずる、偉大なる母の娘、麗しき春の乙女を。冬に凍てつきし大地を溶かし、閉ざされし我らの胸を開こうぞ! | ||||||||||
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司祭は勇壮な調子の遠吠えをする。氏族全員が後に続く。 | |||||||||||
司祭 | さればいざ、死の封土、闇の封土、冬の封土へ。 | ||||||||||
渡し守 | [一歩進み出る]そこへ至るには七つの門を通らねばならぬ。 | ||||||||||
司祭 | [渡し守の方を向く]それを知る汝は何者か。 | ||||||||||
渡し守 | 我は[正式名を名乗る]、月の渡し守。現世(うつしよ)と常世(とこよ)を渉(わた)る者。 | ||||||||||
司祭 | 春の乙女を呼び戻すためには冥府に降らねばならぬ。七つの門が十あったところで変わりはすまい。 | ||||||||||
渡し守 | かほどに覚悟が固いなら、よかろう、付いてくるがよい。汝等を冥土に案内(あない)せん。 | ||||||||||
全員、渡し守の先導のもと界渡りを行う(註3)。精霊界に入った後、渡し守は最初の試練の場へ一同を案内する。 | |||||||||||
門番 | ここから先は冥府への道。生者でありながら死者の国へ踏み入らんとする汝等は何者か。 | ||||||||||
司祭 | 我らは狼人(おおかみびと)、[ケルン名]を守る[氏族名]。我らの地に春を呼び戻すために冥土へ至らねばならぬ。どうかお通し願いたい。 | ||||||||||
門番 | 生ある者が死者の国に入ることは許されぬ。 | ||||||||||
渡し守 | 相応の代償を支払えば話は別だ。そうであろう? | ||||||||||
門番 | かつて偉大なる母がここを通ったときのようにか。よかろう、ただし決して安くはないぞ。 | ||||||||||
門番はここを通るための試練を言い渡す。試練の内容は部族によって多種多様。ベインと戦う試練もあれば、深霊界で失われた霊宝を見つけ出すことを要求される試練もある。氏族が首尾良く試練を果たしたなら、門番は次のように言う。 | |||||||||||
門番 | 代償は支払われた。汝等は死者の門を通る資格をあがなった。先に進むがよい、我はもはや留め立てすまい。 | ||||||||||
渡し守 | 寛大なはからいを感謝する、冥府の守人よ。 | ||||||||||
門番 | 我はただ役目を果たすのみ――汝と同じく。 | ||||||||||
渡し守は次の試練の場に一同を案内し、同じ問答を繰り返す。門番はそれぞれ異なる試練を言い渡す。各試練ごとに参加者は自分の持つ何かを捨てることを要求される。それは積年の恨みかもしれないし、偽りのプライドかもしれない。あるいは大切にしているフェティッシュを犠牲にせざるをえない場合もあるだろう。いずれにしろ、皆がなんらかの形で喪失の痛みを味わうことになる。 | |||||||||||
第七の門を無事くぐりぬけたら、渡し守は静かに次のように語る(註4)。 | |||||||||||
渡し守 | これぞ死者の地。闇の封土、冬の封土。汝等が身をもって支払った代償により、七つの門は全て開かれた。春の乙女が地上へ還る道が通じる。 | ||||||||||
司祭 | 見よ、年の車輪が回る。 | ||||||||||
渡し守 | 冬の終わりだ。 | ||||||||||
司祭 | 今こそ生者の地へ還ろう。 | ||||||||||
渡し守 | 春をもたらすために。 | ||||||||||
全員で古い伝承歌(註5)を歌いながら、七つの門を逆に通り抜ける。 | |||||||||||
全員 | 名は語られ得ず 顔は忘れられ得ず 力は封じられ得ず 契りは破られ得ない あらゆる眠れる種子を乙女は目ざます 虹が彼女の標 いまこそ冬の力は取り去られ 愛のうちに全ての呪縛は崩壊する 乙女は触れたもの全てを変える 乙女が触れたもの全ては変わる 触れる、変わる、触れる、変わる 我らを変えよ! 我らに触れよ! 我らに触れよ! 我らを変えよ! 失われしもの全ては再び見いだされる 新たな形で、新たな術で 傷つきしもの全ては癒される 新たな命で、新たな時代に | ||||||||||
一同は開放感に満たされて物質界に帰還する。各自、再び地上の土を踏んだ瞬間にやりたいと思ったことをする(註6)。叫ぶもよし、泣くもよし、歌っても踊っても良い。このときだけは誰もがラガバッシュのように振る舞うことを許される。 | |||||||||||
これで冬の呪縛は解け、春が来たことになる。凍てついた時の車輪が再び回りだし、春の次には喜びの夏、実りの秋が訪れよう。また冬がやってきたら、ガルゥは儀式を行い、年の車輪をもう一回しする。かくして季節は循環するのだ。 |
参考文献
Werewolf: The Apocalypse 第二版 (White Wolf Game Studio)
『聖魔女術―スパイラル・ダンス―』スターホーク著、鏡リュウジ・北川達夫訳、国書刊行会
『サクソンの魔女―樹の書―』レイモンド・バックランド著、楠瀬啓訳、国書刊行会
『サバトの秘儀』ファーラー夫妻著、ヘイズ中村訳、国書刊行会
註
註1:いわゆる「イースター(復活祭)」は春分の日以降最初の満月の後、最初の日曜日に行われる。「集会の儀式」と同時にできるよう、春分当日ではなく直後の満月の晩にこの儀式をおこなう氏族もある。いずれにしろ、ガルゥたちのイースターは人間のそれより少し早い。もっとも人間とてイースター週の決め方は宗教によってさまざまである。[戻る]
註2:宗教や文化により方角と対応する色やシンボルは異なる。ここではベースとしたウィッカ関連文献から抽出したが、異なる記述もある。ま、所詮フィクションなので、深く考えないでいただきたい。[戻る]
註3:諸般の事情で形式的な試練で済ませる場合もある。精霊界に渡らず、2人の門番の間を通り抜けて門をくぐったこととする。その場合でも、以下の問答は行われる。[戻る]
註4:この儀式では頻繁に「死者の地」に言及されるが、実際にダーク・アンブラ(アンダーワールド)に降ることはない。ガルゥの界渡り能力をもってしても、アンダーワールドに入ることは通常不可能である。唯一サイレント・ストライダー族のみがその術を知るというが、真の「死者の国」は儀式の場としてあまりに過酷すぎる。[戻る]
註5:コレーの賛歌。Kore(Core)はギリシア語で乙女(Maiden)に相当する言葉だが、ギリシア神話の春の女神ペルセポネの異名でもある。ペルセポネはハデスの妻であるが、母デメテルを慰めるため定期的に地上に帰還する。[戻る]
註6:ルールブックには「…このとき多くの部族ではキンフォークや人間、狼を求め、肉の歓びを分かち合い、生命の甘美さとガルゥの子孫繁栄を祝う。メティスの中で、この夜に受胎した子供が大きな割合を占めるのも、驚くべきことではない。ガルゥ同士の交尾は決して許されない禁忌だが、儀式の興奮はしばしばそのような概念を圧倒してしまう…」とある。しかし人間のあいだではこうした儀式的交合はむしろ5月のベルテーン(メイポール祭)に付き物という色彩が強い。ゆえにここでは明記せず詳細は「ベルテーンの儀式」に譲ることにする。北国の3月に野外で「肉の喜びを分かち合う」のは少々寒すぎるだろうし(屋内というのも状況を考えにくい)、3月の夜に人間が野外で眠っても風邪を引かないような南国ではまた異なる儀式の形があろう。
ベルテーンとイースター。春を祝う祭りが2種類もあるのは、冬至、夏至、春分、秋分が基本的に太陽暦の祭典であることに起因する。ケルト人は季節を冬と夏の2季で考えた。月の周期に則って冬の終わりイモルグ(2月)、夏の始まりベルテーン(5月)、夏の終わりルーナサー(7月)、冬の始まりソーウィン(10月)を祝ったのである。後にチュートン人の影響でリサ(夏至)とユール(冬至)が加わったが、ペイガンたちが春分と秋分を祝うようになったのはごく最近、ジェラルド・ガードナーたちによってドルイドの太陽信仰の風習が取り入れられてからのことだ。
月に仕え月に影響を受けるワーウルフとしては、季節の儀式をルールブックどおり春分、夏至、秋分、冬至に行うよりむしろ、ケルト人風にイモルグ、ベルテーン、ルーナサー、ソーウィンを祝う方が似合いかも知れない(フィアナなら後者が当然だろう)。
しかしユールの儀式をすでに書いてしまったことでもあるので、当「骰子回転劇場」では、現代ペイガニズムの主流である一年八儀式(ユール、イモルグ、イースター、ベルテーン、リサ、マボン、ルーナサー、ソーウィン)に従って「季節の儀式」の戯曲化を進めてゆくつもりである(書けるんか?ほんまに(笑))。[戻る]
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