吸血鬼のエロティシズム ―ヴァンパイアの性愛論― |
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ヴァンパイアはその心も死人と同じなのだろうか? かつて胸の内で鼓動していた肉塊と共に、情熱も死に絶えたのか? 呪われて夜の街を徘徊する彼らは、かつて人間として交わした愛の思い出と余韻のみをよすがに、永劫の時を生き続けるさだめなのか?
そうかもしれない。
だが本当にそうなら、どうしてヴァンパイアがかくも情熱的に、狩りや抱擁や「口づけ」で永遠の命を保ち、狩る者にも狩られる者にもエクスタシーをもたらす様を描いた小説が、ちまたに溢れているのだろう? どうしてヴァンパイアは、恋愛、後悔、欲情、憤怒、傷心、嫉妬、といった多様な感情をみせるものとされているのだろう? やはり、ヴァンパイアが血も涙もない化け物だというのは嘘なのだ。歳経たヴァンパイアが、人生に倦み疲れて人間らしさを失った理由を若き同族に説明するための、偽りの言い訳なのだ。倦怠や人間性の喪失は、歳月と共にモラルが崩壊することで起きる。ヴァンパイアが永遠の夜の世界を歩き続けるほどに、人間として生きていた頃の記憶は遠ざかってゆくから。
ヴァンパイアとて、葛藤する感情の板挟みになって苦しむことはある――欲望、苦悩、情欲、悲嘆、それら全てを道連れに、〈抱擁〉を享けし者は果てしない闇を歩むのだ。肉体こそ生前のようには機能しなくなっても、感受性の鋭さは変わらない。愛も、怒りも、憎しみ、欲望も、そして快楽すらも感じることができる。快楽という名の甘やかな蜜の杯は、生者の唇にも、不死者の唇にも、多様なかたちでもたらされるのだ。ではヴァンパイアにとって快楽とは何なのだろう? 夜の子供たちは、どんなものをエロチックと感じるのだろうか?
ヴァンパイアのエロティシズムはどのような形をとるのか?
ここで「エロティシズム」という言葉を持ち出すと、まあたいていの人が考えるのは性的快感のことだろう。一般にエロティシズムについて考えるといえば、性欲とそれをいかにして充足させるかという問題に終始する。無論、性的快感だけがエロティシズムの目指すものとは言いがたいが、ここできわめて重大な疑問が生じてくる。生ける死者であるヴァンパイアは、性的快感を得られないのではないか?
答えはイエスでもあり、ノーでもある。
性欲や性感は、基本的に刺激に対する生理的反応の一種で、無意識による部分が大きい。何が「刺激」になるかは文化や個人によって異なるが、その刺激に対する肉体の反応は万国共通――性的興奮だ。これは程度はともかく然るべき能力のある生きている人間なら誰でもあてはまる。しかしヴァンパイアはもはや人間ではなく、医学的見地からいっても決して生きているとは言えない。体機能は停止し、ホルモンは生産されず、およそ性欲に関する限り、肉体の反応はまさに死人同然だ。要するに、ヴァンパイアの体は、無意識に性的興奮したりしないのだ。
ヴァンパイアでも、貴重なウィタエ(vitae)を消費すれば、性的に興奮した状態をまねることは可能だ。男性なら、意志の力で男性自身を性行為ができる状態にできるし、女性も同じように望めば受け入れ可能な状態をつくれる――もっともヴァンパイアの女性が「濡れている」ところをあまり間近で観察するのは控えたほうがいい。行為にそなえて然るべき部位に分泌されるのは血液だからだ。いずれにせよヴァンパイアの体は、肉体的・感情的にどれほど性的刺激を加えようと、本人の意思にそむいて反応することはない。たとえ刺激に「感じてきた」ように見えても、それは本人がそのように見せかけようと望んだからにすぎない。つまり、あくまで演技の範囲を出ないわけで、人間だった頃の思い出のように、熱い肉体が汗まみれで激しく絡み合う、というふうにはならないのだ。ヴァンパイアの肉体は、触ると冷たく、固く、こわばって、カサカサして、死体そっくりの感じがする。こうした現実を一時的に隠蔽するのにも、貴重な血液をさらに消費する必要があるだろう。
ふつうのヴァンパイアは、そこまで多量のウィタエを費やしてわざわざ性行為を模倣しようとは思わない。そんなことをしても、かつて感じた快楽はもう味わえないのだ。まして、不毛な肉体的結合と〈キス〉――つまり吸血行為がもたらす強烈なエクスタシーを比べれば、無意味な腰振り運動などなおさらやる気が失せるというものだ。
〈キス〉については、あるヴァンパイア自身がこのように表現したことがある。
……最高級のシャンパンを飲みながら、かつて憶えのないほど淫らに愛を交わしている感覚。その上に、阿片中毒者がパイプから最初の煙を吸い込んだ直後に押し寄せるあの恍惚を重ねたよう……
(Vampire: the Masquerade, Revised Edition, Prologue: p. 5)
過激な文章だが、かの至高の快楽のイメージを余すところなく描き出している。これはつまり、夜を生きるヴァンパイアにとって、唯一の快楽は吸血行為(Feeding)のみ、ということだろうか。
いや、そうとは限らない。
たしかに吸血はヴァンパイアの肉体的快楽の粋といえようが、エロティシズムというものは肉体面からだけでとうてい語り尽くせるものではない。人が何かをエロティックだと感じるのに最も大きな役割を果たすのは、やはり思考と感情だ。こうした心的能力はどんなヴァンパイアの中でもあいわらず活発に機能しつづけている。
エロティックなもの、エロティシズムを感じさせるものの追求は、ヴァンパイアにかかればたちまち思考と感情のゲームとなってしまう。吸血行為は不死と快楽をもたらすが、ヴァンパイアならではのエロティシズムに大きな割合を占めるのは、いかにして獲物をしとめるか、ということかもしれない。
一部のヴァンパイアにとって、狩りの醍醐味は獲物を追い詰め、捕らえ、レイプすることにある。かれらは狙った人間に気づかれないよう忍び寄っては、鑑賞し、欲情し、思いを遂げる遥か前からその時を思い描き、情欲の狂宴へ興奮をつのらせてゆく。そして狙った餌食の不意を突いて襲いかかり、力ずくで抱き寄せ、いやがる犠牲者に凄惨な強姦をくわえて悦楽に酔う。その快感と興奮はどんな肉体的オルガスムスにも劣らないというのだ。
他のヴァンパイアはもっと計算ずくで狩りをする。巧妙に恋の誘惑をしかけて獲物の心をとりこにし、結果的に獲物が快く――ときには自ら進んで――みずからの体と血をさしだすように誘い込むのだ。ヴァンパイアは官能的で情熱的な理想の恋人を装いつつ、お相手の肉欲に火をつけ煽りたててゆく。しめくくりに〈キス〉をすれば、双方仲良く、肉体的にも精神的にも興奮の絶頂を迎えられるわけだ。こうして華麗な誘惑の罠にかかった人間は、しばしば身も心も完全に妖しい「恋人」のとりことなってしまう。もっとも、ヴァンパイアの方が恋愛ゲームに熱中しすぎて餌の人間に本気で恋をしてしまう、なんてこともある。
こういう性行為を擬似的に実現する手段は他にも色々あるのだが、それを抜きにしても、ヴァンパイアは様々なやり方で積極的に性愛や官能を愉しむことができる。
狩りのやり方や過程に限らず、ヴァンパイアが性的欲望を満足させる手段はいくつもある。いずれにせよ要は思考や感情を刺激すればいいのだ。
ヴァンパイアにはなにがしかの窃視趣味の傾向がある者が多い。美しいものを眺めることが欲情をかきたてるようになるのである。クラン・トレアドールの者にかぎらずヴァンパイアが美しいものに惚れ込むことはあるもので、性的嗜好においても、ヴァンパイアがいわゆる「視姦」趣味を持つようになることは珍しくない。お気に入りの人間やグールを窓から覗くのが好みの者もいるし、より大胆な者なら、舞台の上でエロチックな踊りや、もっと露骨な「本番ショー」を演じさせるだろう。ロマンチックなものにしろ、淫猥なものにしろ、ヴァンパイアはそれを堂々と客席から眺めて楽しむのである。あるいは単に、美男なり美女なりを目の前にはべらせて、みごとな肉体を隅々までじっくり観賞するだけで満足する者もいるかもしれない。
この視姦的快楽をさらに一歩押し進めたところに、代償行動的におめあての獲物、つまり「夜のお相手」に性的快感を味わわせて楽しむというものがある。この種の代償的エロティシズムは、一晩中淫らな愛撫だけで相手を何度も絶頂に登りつめさせる優しい情熱的な恋人から、マゾ奴隷を責め苛んでオルガスムスに至るまで解放しないサディストの主人まで、多様な装いをみせる。どのように成就されるにせよ、ヴァンパイア自身はあくまで代償的にしか与れない。人間の「恋人」が快感のあまり絶頂にのぼりつめるのを観察することで自分なりの満足を引き出そうとするのである。
結局、ヴァンパイアは肉体が死んだからといって不感症の性的不能者になってしまうわけではないのだ。ただセックスや快楽の定義が変わっただけで、生前に劣らずエロティックで官能的な性生活を送ることができる。たしかにセックス行為そのものはもはやヴァンパイアのエロティシズムに直接訴えてこないが、セックスの欠如はけっして性欲の死ではなく、変化にすぎない。
そして、人によっては――洗練とさえ呼ぶかもしれない。
オリジナルテキスト | Vampire Erotica |
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出典サイト | "Sanguinus Curae" |
原著者 | Belladonna |
翻訳 | Professor |
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