リアル・ヴァンパイア | ||
(ここに述べる事柄は、みなWhite Wolf社の出版物のどれかに書いてあることで、能力値やルールにはまったく関係ないとはいえ、ルールブックやサプリメント全体を通じて繰り返し現れる。以下に述べるのはいずれもごく現実的な事柄であり、ヴァンパイアを演じる時はいつも心にとめておくことを勧める。)
ヴァンパイアは人間と似て非なる存在だ。
〈抱擁〉のあと目覚めた瞬間から、もはやこれまでの自分と違うとはっきり悟っている。単に心臓の鼓動や脈拍や体温がなくなるという問題ではない。生理作用からして根本的に変わってしまっているのである。ヴァンパイアはそのことを最初の数秒のうちに自覚し、その自覚は生涯つきまとう。
この変化のうち、比較的わかりやすいものをいくつか挙げてみると次のようになる。
(Merit "Eat Food" をもつヴァンパイアは、人間と同じように食物を咀嚼して胃の中におさめておけるが、その夜のうちに吐き戻してしまう。ヴァンパイアの肉体は飲みこんだ食物を消化しないし、そのまま排泄することさえできないからだ。また、Merit "Blush of Health" をもっていれば、見かけは比較的人間に近くなり、肌に触れても少しひんやりするぐらいだが、それでもやはり呼吸や心拍はないのである。たしかにヴァンパイアは血を「飲む」が、それはむしろ真空掃除機のように体内に吸い込む動作であって、喉を動かして飲み込むのではない。これは Diablerie をおこなう時に Strength 判定が要求される理由でもある。最後の数滴を飲み干すには普通より強い「吸引力」が必要なのだ)
以上の諸事実を考え合わせると、これでヴァンパイアが自分は人間だと思うほうが無理だということは容易に理解できるだろう。自分の肉体がこれほど多くの点で従来どおりの反応を示さないとなると、ヴァンパイアはおよそ人間のふりなどするだけ時間の無駄で苛々の原因になるだけだと考えるようになるに違いない。
しかしこうしたことはまだ表面的な変化にすぎない。
ヴァンパイアは〈抱擁〉から目覚めたとき、死ぬ間際とはまるで異なる心持ちになるものだ。もはや肉体の要求にほとんどわずらわされることなく、血への〈飢え〉を除けば、肉体は完全に精神の制御下に置かれる。
〈抱擁〉から目覚めたヴァンパイアは、生前より筋力や、敏捷さが増し、五感や思考が鋭くなったように感じる。この面での変化は、必ずしも能力値の変化として現れるわけではないが、どんなヴァンパイアにも当てはまる事実である。実際多くの点で彼らは人間だった時よりはるかに優れた存在となっているのだ。
たとえば筋力を考えてみよう。人間の体は常に一定の筋力を発揮できるわけではなく、健康状態や、準備や、疲労の度合いなどといった何十もの要素によって限界が左右される。そのためどんな人でも筋力の実際の限界は流動的ではっきりしない。ここにプロの重量挙げ選手がいるとしよう。彼はベンチプレスで1回だけなら720ポンド(320kg)を持ち上げることができる。しかしバーベルを短時間に何回も上げ下ろししろと言われたら、彼が扱えるのはせいぜい500ポンド(225kg)がいいところだ。これは筋肉中に乳酸が蓄積して運動を阻害するのが原因である。人間が最大限の能力を発揮できるのはせいぜい数回が限度になる。それ以上は人体の構造上不可能なのだ。ではヴァンパイアはどうかというと――そもそも運動を妨げる乳酸というものが発生しないので、望むだけ何度でも最大限の能力を発揮することができる。だからヴァンパイアが渾身の力をふるったなら、あたかも生前より力は倍にも増したように思えるだろう。しかし実際には、筋力の物理的限界は Potence を修得しない限り、上昇しない。あくまで自分の筋力を限界まで一晩中でも疲れを知らず発揮できるようになっただけなのだ。
同様に、ヴァンパイアは逃げ足の速さも生前の倍になったようにみえる。これはなぜか? 平均的な人間は、ほんの数秒しか全力疾走を続けられない。長距離走ではせいぜいその半分の速度を維持するのがやっとだ。筋肉はほんの数秒で疲労し速度を落とさざるをえなくなるのである。もうひとつ走るという運動に影響する要素は酸素供給だ。たとえば肺の調子が悪かったり障害があったりすれば、酸素の供給が筋肉の需要にまにあわず、筋肉の動きは遅くなる。ヴァンパイアは呼吸せず疲労をおぼえることもないから、短距離走のスピードで何時間も走ることができる。標準的な体格の人間なら平均時速約12m/hというところだろう。
さて感覚はどうだろう。なぜ鋭くなるのか一概にはいいにくいが、主要な3つの感覚(視覚、聴覚、嗅覚)についてなら比較的簡単に説明がつく。
視覚――人間の眼は、まばたきせずに物を注視しつづけると乾燥し、涙がにじんでくるし、空気中の様々な刺激物にも悩まされやすい。そのうえ眼精疲労、まばたき、その他もろもろの要因が加われば、人間の眼がピントをきっちりと鮮明に合わせるのはどうしても難しいということはおわかりだろう。しかしヴァンパイアにはこうした問題は一切無縁だから、人間だった時より物がくっきりと鮮やかに見えるように感じたとしても不思議はない。
聴覚――これはもっと簡単だ。人体は種々雑多な「背景雑音」――心拍音、脈拍音、体液の流れる音、呼吸音、等々――を発しているが、人間はそれに慣れきっているので、普段は聞こえていることを認識さえしない。人間が音を聞くときは、ちょうどパーティー会場で一人の客の声を聞きとろうとするのにも似て、こうした自身の生理現象から生じるノイズの海から音を拾い上げなければならない。もしこの背景雑音が完全に消えたならば、いままで耳を済まして聞いていた声が突然、こちらに向かって叫んでいるのも同然にはっきりと聞こえてくるだろう。だからヴァンパイアの耳は、眼と同じく生前より鋭くなったように思えるのはたしかだが、それは単に「背景雑音」に悩まされなくなっただけの話なのだ。
嗅覚――人間は吸い込んだ空気中の微粒子から嗅覚情報を得る。とても単純な仕組みだ。しかしその空気をすぐに吐き出さなければならないので、そのぶん一回の呼吸で得られる情報量は目減りしてしまう(犬をはじめ、動物が匂いを嗅ぐとき、呼吸が浅く速くなるのはこのせいだ。息を吐く量を最小限に抑えつつ、できるだけ短時間で最大限の嗅覚情報を取り込もうとしているのである)。一方ヴァンパイアは息を吐く必要がないから――言わんとしていることはもうお分かりだろう。
以上のようなこともヴァンパイアが自分を非人間的で超自然的な存在だと感じる要因ではあるのだが、これらもまた最大の変化を示すものとはいえない。残る最後の要因、その中にこそ「血への欲求」をヴァンパイア化の最大かつ最重要な特徴となさしめる多くの特性が含まれている。
ヴァンパイアにとって、血こそすべてだ。食事も、呼吸も、思考も、知覚も、行動も、これすべて血のためであり、これからもそうだろう。血は一にも二にも、唯一の必要物であり、ヴァンパイアの最良の友であるが、ときに最大の敵ともなる。血がなければヴァンパイアは滅びるしかない。
血は活力源にして麻薬、生きる手段にして理由なのだ。
しかし血は〈渇き Hunger〉をももたらし、〈渇き〉の裏には〈獣性 The Beast〉が潜んでいる。多かれ少なかれこれに恐れを抱かぬヴァンパイアはいない。
血は、ヴァンパイアには「ウィタエ(vitae, ラテン語で「生命」の意)」と呼ばれ、かれらの体組織にくまなく浸透している。ウィタエは神経系に代わって情報伝達のはたらきをするが、人間の血液と異なり体内を循環したりはしない。ただ単にその場にとどまって、必要に応じて消費されるのを待つだけである。ヴァンパイアが体を動かしたり、外界を知覚したり、思考したり、その他人間が夢にも思わないような芸当をしてのけられるのは、ウィタエのおかげだ。ウィタエはヴァンパイアにとってこの世で最も貴重な物といえよう。だから決して無駄遣いはしないし、使うにしても慎重になる。簡単に補充がきくとは限らないからだ。過度の消耗や浪費でウィタエが底を尽きそうになると、手遅れになる前に血を補給しようとする本能的欲求、すなわち〈渇き〉との戦いが始まる。〈渇き〉は人間の空腹や渇きのような単なる不快感というより、むしろ動物の自己保存本能に近い衝動である。狼に罠から逃れるため自らの足を噛みちぎらせる本能、ちっぽけな鼠にさえも追い詰められたとき死に物狂いで牙を剥かせる衝動と、同じ種類のものなのだ。何も考えず、何の理由ももたず、何らかえりみない生存への欲求である。抑えきれなくなるまで〈渇き〉が強まるのを放置したヴァンパイアは悲劇だ。そのとき〈獣性〉が人格を支配し、そのヴァンパイアは〈渇き〉の化身となるだろう。ひとたび〈狂獣化 Frenzy〉したヴァンパイアは、みずから嬉々として最愛の恋人の首をねじ切り、噴き上げる血潮に喉を潤すだろう。我が子を真二つに裂いて、その小さな体に残った血までも搾り取るだろう。〈獣性〉にとって生存にまさる重要事はなにひとつない。なにひとつありはしない。
文化的にそういう行為が認められていたり、推奨されていたりする土地に育ったのでないかぎり、普通の人間は血を飲むことに不快感をおぼえるだろうが、ヴァンパイアにとって吸血は単なる生理的欲求を満たす行動ではない。血はどんなドラッグより強烈で、どんな御馳走より美味なのだ。どんなものも、ヴァンパイアが吸血時に感じる、全てを灼き尽くすようなエクスタシーや、食餌が終わった後も長く余韻を残す高揚感とは比べものにならない。永遠に逃れられない、底無しの麻薬中毒が、またたくまにヴァンパイアの生活の中心になる。ヴァンパイアは、たらふく血を吸って腹がはちきれそうになってでもいない限り、けっして血を粗末に扱わないし、そもそも流れる血を無視することなどできない相談だ。人間の指の切り傷からこぼれ落ちた細い一筋の血でさえ、セイレーンの歌のごとくヴァンパイアの感覚に誘いかけ、惑わせ、魅きつける。血の滴る傷口はヴァンパイアを〈狂獣化〉に駆り立てることが知られている。わかっていても血を貪らずにいられないのだ。ヴァンパイアは同じ部屋に入っただけで血の匂いを嗅ぎとることができる。人間が夕食を料理する匂いを嗅ぎつけるのと同じことで、気づきそこねることなどありえない。
しかしここでヴァンパイアはある問題に直面する。ままならぬこの世の悲しさで、かれらが必要とする血を飲む行為は、ふつう社会的に容認されていないから、目覚めた時に杭が胸に刺さっていて、斧の刃が喉笛めがけて落ちてくる、なんて目に遭いたくなければ、吸血を実行に移す手段についてはよくよく考えねばならない。絶対にばれないようにやろうと思うなら、慎重に狩りをして、餌食を詮索の目のとどかぬ場所におびきだし、必要なだけの血を、餌食の生命を危険に晒さない程度にいただいて、なおかつそれを餌食の人間に気づかれないように何とかしてごまかす必要がある。おあつらえむきに精神操作系の能力を持っているヴァンパイアは幸運だが、そうでなければ策や機転を弄して切り抜けねばならない。万一餌食を吸い殺してしまったら、全身の血を抜かれて死んだ変死体をどう処分するかという問題が発生する。非常に活動的なヴァンパイアなら、餌食一人から得られる量では渇きを癒すのにも足りず、狩りだけで夜の半分を費やすことになるかもしれない。そのため、ヴァンパイアによっては〈飼人(かいびと) herd〉として、食餌用に何人かの人間を囲っておく場合もある。しかしそういう人間たちに住居をあてがい、沈黙を守らせる手間を考えると、これはこれで頭痛の種になる。どんな手段を取るにせよ、血を手に入れ、生き延びることこそ、目覚めている間中ヴァンパイアを動かしつづける理由なのである。
こうした変化はみな非常に実際的で即座に起きるが、ただ一つ、ヴァンパイアといえどもすぐには変わらないものがある。これはもう一種の呪いといっていいだろう。ヴァンパイアが背負うどんな呪いもこれと比べれば顔色なからしめる呪い。
それは感情だ。
ヴァンパイアは転化後もしばらく、人によっては長い期間、人間と同じように感情を動かされる。まだ人間であるかのように、心はなおも愛し、笑い、傷つき、泣く。これこそヴァンパイアの究極の苦悩なのだ。中身も姿も怪物でありながら、なお心だけは人間であるということが。
かれらは不死を得た最初の瞬間から、自分が何に成り果ててしまったのか、真相を察してしまう。しばしばその証拠を目にすることもあろう。こうした初期の段階から、ヴァンパイアの新しい本能と古い自我の葛藤は始まる。〈渇き〉は血を欲し、それを得るために人を殺すだろう。しかし内なる人間的な部分は、今の自分にどれほど恐ろしいことができるか気づいて、そうするまいと反発するのである。罪悪感、良心の呵責、後悔、恐怖といった感情が新米ヴァンパイアに襲いかかり、あたかも内なる怪物が自由を求めて這い出してくるように感じられる。殺しは闘ってねじ伏せるべき誘惑であり、おぞましい不可抗力となる。かつての友を見れば、その血管に流れる血の匂いを感じ、卑しくも友達や恋人を食糧と見てしまうことへの自己嫌悪に苛まれる。一度でも我を失えば――その友人を己の手で殺すことになるのだ。それを知ったことからまた人に言えない恐怖が生まれる。たとえ人間性を長く保ったとしても、愛する人や場所や物が、あるいは老い、あるいは朽ちて、滅びていくのをまのあたりにしながら、自分自身は不死の呪いで変わらぬまま生き続けねばならないのだ。
そういうわけで、多くのヴァンパイアはほどなく人間社会から引きこもってしまうが、自分の暗黒面をねじ伏せても人間らしくあろうとし続け、生前には知らなかったような苦悩と心痛を味わっているヴァンパイアはさらに多い。ほとんどの者は慰めを自分の同族に求めようとするが、そんな相手は見つからない。ヴァンパイアはお互いを潜在的な脅威、競争相手、敵と見なしている。綿密に計画し、執念深く擁護すれば、同盟関係ぐらいなら成り立つだろう。不死ゆえのしがらみやプレッシャーを考えるとどんなヴァンパイアも信用に値するとはいえないし、他にも〈血の呪縛 Blood Bond〉のような様々な要因が重なって、ヴァンパイアはまさしく猜疑心の塊にならざるをえない。この地雷原を歩くような心理状態は、しばしばヴァンパイアを、どんな方法にしろみずからの死んだ心臓に永続的な安全保障を手に入れようと、屈折した陰謀術策に満ちた行為に駆り立てる。たとえば胤子(Childe)を何人も創造し、ときには血で呪縛してでも手元におこうとする。たとえば身辺に主人を愛するより他に選択の余地がないグールたちをはべらせ、他のヴァンパイアを罠に掛けたり誘惑して〈血の呪縛〉をかけさえするだろう。しかし最後はどれも失敗に終わる。結局のところヴァンパイアは、〈渇き〉と不死の重みに、潰されそうになりながらもたった独りで立ち向かい、自分なりにそれと和解しなければならないのだ。この試練を、残された人間性をわずかなりとも犠牲にせずに乗り越えられる者など皆無に等しい。人間性の喪失は、麻酔無しの外科手術を何世紀にもわたって続けられるのにも似ている。この恐るべき浸食と闘うため、ほとんどのヴァンパイアは、せめて気持ちだけでも「生きている」実感を失うまいと、ゲームのような恋の駆け引きに明け暮れる。この人間性の死をかろうじて食い止める刺激を追い求める風潮はヴァンパイア社会に広く浸透しており、その社会の形成に多大な影響を与えたのみならず、ヴァンパイア社会のありようそのものとなっている。すべてのクランは本質的にその創祖が情熱をかきたてるために何を追求したかによって定義され、すべてのブラッドライン(Bloodline)はいまやその胤子を選ぶのに、同じ葛藤を自分なりの構図に直してそれにどれくらいよくあてはまるかを基準にしている。ヴェントルーは支配者の座を継承することに栄光を求める。トレアドールは芸術をもって世に認められることに情熱を見いだそうとする。ブルージャは抑圧された感情を解き放ち、荒々しい奔放さの内に活力を取り戻そうとする。ノスフェラトゥは知識を蓄え、秘密を暴くことでその害毒を薄めようと試みる。このように、内なる闇――復讐、欺瞞、虚偽、愛、狂気、等々――を恐れる不死の魂たちによって模倣され、グロテスクな芸術にまで高められた、ありとあらゆる形の人間的な感情表現を通じて、リストは続く。結局のところ、すべてのヴァンパイアは、その者を非人間的たらしめているもの、避けられぬ現実と闘うためにおこなっていることによって定義されるのかもしれない。
オリジナルテキスト | Vampire Facts |
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出典サイト | Sanguinus Curae |
原著者 | Belladonna |
翻訳 | Professor |
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