巷ではどうやら誤った先入観が流布しているらしく、世代の古いヴァンパイアというとみな非常に齢を経た者ばかりと思われている――反対に、世代が新しいと年齢もごく若いと決めつけられがちだ。昨夜〈抱擁〉されたばかり(したがって年齢は極端に若い)だが世代は古い血族、というものが存在する可能性は誰もが考えるが、どういうわけか、その反対の可能性はとかく見過ごしてしまうようである。不運にも、ホワイト・ウルフ社はこうした神話を『Time of Thin Blood(薄き血の時代)』関連製品によって(おそらく故意に)確固たるものにしてしまった。とはいえ、誤った神話には違いない。その理由をこれから述べよう。

いくつかの本で言及されていることだが、カインがエノクを治めていた当時の悩みの種は、継嗣らが「見境なく〈抱擁〉する」ことだった――つまり、後先考えずに〈抱擁〉を授けてまわったため、ヴァンパイアを創りすぎてしまったのである。こういうとつい、第2世代だけがこの件に関わっていたかのような感を抱くが、第2世代が放埒な抱擁にふけったとすれば、当然第3、4、5世代もそれにならったのではないだろうか。やはり、当時〈抱擁〉に規制は存在せず、どの世代も創られた後かなり短期間で次の世代を創った、と考えるほうがずっと自然である。
 別の本によれば、有史以前の昔、カッパドキウスが氏族を集めて会合を開いたとき、愕然としたことに、10,000人を超えるヴァンパイアがぞろぞろと現れた。そこでカッパドキウスは全員をとある洞窟に閉じこめて生き埋めにしてしまったという。
 以上二つの記述をありのままにとらえるなら、結論はちょっと常識を働かせればすぐに出せるはずだ。

どの世代のヴァンパイアが何歳であったとしても不思議はないのだ。

こう考えるといい。
 ノアの大洪水以前のエノクにもすでに、第14世代のヴァンパイアが存在した可能性はありうる。仮に、どの世代も創られて50年経ってから初めて子を〈抱擁〉したとしても、第14世代ヴァンパイアが地上をうろつきはじめるまでにはせいぜい600年程度しかかからない。

だとすれば、いま、世界じゅうが新しい世代のヴァンパイアであふれかえっていないのはなぜだろう?
 答えは簡単――幾度となく絶滅の危機にさらされたからだ。

ノアの大洪水という未曾有の災害を生きのびられたのは、よほど力ある強靱なヴァンパイアだけだろう。比較的世代の新しいヴァンパイアは全滅してしまったにちがいない――大洪水はまさにそのために起こされたのではないかとさえ思える。そして、大洪水のあと、アンテディルヴィアンは再び継嗣を創造し直すことを余儀なくされたわけだ。
 だが、またしても――程なくして第14世代の血族がここかしこに溢れかえることになったはずだ。もしかしたら、アンテディルヴィアンが大洪水を教訓に〈抱擁〉を手控えるようになったために、第14世代の出現が以前より少々遅れたかもしれないが、それでもさほど長い歳月は要しなかっただろう。

そして〈第二都市〉が興ったが、これもまた崩壊したという――原因は洪水ではなく戦乱だった。巨大勢力間の戦争で――特に長老級のヴァンパイアの抗争で、犠牲になるのは常に弱者だ。従って、〈第二都市〉陥落の折にも世代の新しいヴァンパイアがおびただしく死滅の憂き目を見たものと推定できよう。

このように、ペロポネソス戦争からカルタゴ陥落、叛徒の「大叛乱」に至るまで、血族の歴史において、新しい世代からまず滅びてゆき非常に古い世代だけが生き残ったと思われる時期が数多く存在する。

ただし、だからといって世代の新しいヴァンパイアが一人残らず全滅してしまったわけではない。わずかながら非常な幸運に恵まれて生きのびた者がいた可能性はおおいにある。そう仮定するなら、どんなに世代が新しくとも年齢は8,000歳を超えるという血族が存在する可能性は否めない――いかにもありそうにさえ思えてくる。もっとも時代を遡れば遡るほど、その時代から生き永らえている血族が存在する可能性は薄れていくが。

世代の新しい血族が古くから存在する可能性を立証する一つの鍵となるのが、東欧のいわゆる「グール筋 (ghoul family)」と呼ばれる家門の存在だ。グールを家祖として興ったといわれるが、今では普通のグールとちがい、定期的な血族の血の補給を必要としなくなっている。グール筋の家系の者がどうして血族の血なしに生きていられるのか、どうして代々必ずグールの特徴をもった子供が生まれてくるのか、充分な理由はわかっていない。また幼児から成人になるまで常人のように歳をとり、その後老化が止まる原因についても今のところ解明されていない。
 だが――仮に、「グール筋」と呼ばれているのは何かの間違いで、実は遥か昔にいた第15世代か16世代の血族(後者は現在「ダンピール」と呼ばれている)家系だったとしたら? とたんに全ての辻褄が合ってくる。いわゆる「薄き血の」新しい世代の血族は、様々な点でグールによく似ているし、人間と同じように子供を産めるのだ。長期にわたって計画的に人間と「薄き血の世代」が混血を進めてゆくうちに独立グールのような存在に変わってきたため、そうした家系を「グール筋」と呼ぶようになったのかもしれない。実際、グール筋の解説を読むと、計画的な混血を示唆する記述が見受けられる――もっとも、計画を始めたのは血族ではなくグールとされているのだが。

この記事が言わんとするところは少々判りにくいかもしれない。だいたい、2,250歳の第13世代ヴァンパイアなんか物語に登場させたがるストーリーテラーがいるだろうか。 第13世代はそれ以前の世代と比べてどうしても弱いのではないか? たしかに表面上は弱く見えるかも知れない。しかし第13世代ヴァンパイアが2,000年以上かけて訓えや技能の修業を積んだと考えてみよう。持っている訓えや技能のほとんどが最高レベルに達していることは想像に難くない――つまり氏族から教わる他にも様々な訓えを山のように修得している可能性もあるわけだ。
 世代は、それだけではけっして血族の才能や強さの決定的要因になりえない――むしろ年齢を尺度に測るほうがはるかに適切であり、本文の説明でお分かりのように――どの世代がどんな年齢であったとしてもおかしくはないのだ。

下の年表は、先史時代の血族の歴史を短く要約したものである。神話、宗教的伝承、WW社製品の記述、現実世界の史実をとりまぜて筆者が個人的に編纂した。

紀元前10000年最後の氷河期終わる 
9400年アダムの誕生
9100年カインの誕生
8800年エノクの誕生
旧約聖書ではカインの長男とされる――WoDではカイン最初の継嗣となり、〈第一都市〉エノクの初代王に即位した
8800年〈第一都市〉エノクの建設


6000年ナイル川流域で最初の農耕始まる
5600年ノアの大洪水
〈第一都市〉エノクの滅亡
4300年西ヨーロッパ各地で巨石墓が建設される 
3500年〈第二都市〉キシュがメソポタミアに建設される
キシュは人類の歴史上最古の都市と考えられているが、伝説によれば大洪水以前に存在した別の都市の廃墟に建てられたという。



3300年エジプト統一
2400年〈第二都市〉キシュ陥落。独立を失う
1900年アッシリアの首都アッシュールの建設
アッシュール (Ashur) はカッパドキウス (Cappadocius) の別名でもある。興味深いことにアッシュールの街はキシュ(つまりエノクの跡地)から北にわずか200マイル足らずの場所にあった。現実の「カッパドキア」はずっと離れた北方にあったようで、歴史に現れるのはもっと後の話だ。もしかしてアンテディルヴィアンの移住があったのだろうか?
 
1708年モーゼの誕生
1628年イスラエル人のエジプト脱出
1600年ミケーネ文明
1200年ミケーネの滅亡
1045年ダビデ王生まれる
961年ソロモン王生まれる
814年〈第三都市〉カルタゴの建設


700年ギリシャ都市国家の繁栄
509年ローマ共和国の成立
146年〈第三都市〉カルタゴの滅亡
4年ナザレのイエス生まれる 
西暦1305年叛徒の「大叛乱」(Anach Revolt)
1493年ソーンズ会議*1
1803年サバト統一(サバト購入地協定*2(Purchace Pact))

追記。もし上記の推定年代がすべて正しいとすれば、第一・第二・第三都市はそれぞれ、前の都市が創られてから滅亡するまでの半分の年月しか存続しなかったことになる……

 

訳注
*1ソーンズ会議(Convention of Thorns):ソーンズはイギリス南部、海から30マイル弱ほど離れたにある田舎町。ここで結ばれたソーンズ協定により、叛徒のほとんどがカマリリャに降伏し、大叛乱は一応の終結をみた。このとき、協定調印を拒否して逃亡した一部の叛徒が後のサバトを形成することになる。
なお、VtM日本語版ルール p. 272右段3行目には「1493年に初めての大会合が開かれ…」とありあたかもカマリリャ初の大会合(Conclave) であったかのように記述されているが、Guide to Camarilla を見る限りこの会議は一度も conclave と呼ばれていない。一貫して Convention of Thones と表記されていることから察するに、おそらく大会合という形はまだなく、事実上の戦後処理だったのだろう。この会議ではまた、大叛乱で叛徒側に与して戦ったアサマイトに対し制裁措置を下すことが決定された。[↑本文に戻る]
*2サバト購入地協定(Purchase Pact):1803年、新世界でのカマリリャ巻き返しに対抗するため、サバトは派閥内部の内紛を禁ずる協定を締結。これは行動の自由を何より尊ぶサバトが自らに制限を課したという意味で、サバトの歴史の中でも非常に重要な決定といえる。ちなみに同じ年に行われたルイジアナ購入地協定(アメリカはこの年フランスからルイジアナ州丸ごとを買い受けた)にちなんで、この協定は購入地協定(パーチェス・パクト)と名づけられた。(Guide to the Sabbat rev. ed. より)
 なお、Transylvania chronicle IVでは、サバト購入地協定の年代が1801年になっている。翻訳では原文を尊重してGuide to Sabbatの年代を採用した。余談だが、調印立会人は枢機卿ラドゥ・ビストリがつとめたとか。[↑本文に戻る]

オリジナルテキストAge and Generation
出典サイト"Sanguinus Curae"
原著者Belladonna
翻訳Professor
ソーンズ会議、サバト購入地協定に関しては、大水青(飼い主)さん、Helveticaさんに情報提供頂きました。ありがとうございました